NPBについて⑤
■東京ヤクルトスワローズ
東京ヤクルトスワローズは、1950年に「国鉄スワローズ」として創立された長い歴史を持つプロ野球球団です。
創立から低迷期(1950年代~1970年代)
1950年:「国鉄スワローズ」として球団が誕生。
創立当初は、エースの金田正一投手が活躍するも、チームとしては成績が振るわない時期が続きました。
親会社の変遷があり、1965年に産経新聞社、1970年にヤクルト本社が経営権を取得しました。
この間、チーム名は「サンケイスワローズ」→「サンケイアトムズ」→「ヤクルトアトムズ」と変わりましたが、1974年に「ヤクルトスワローズ」となり、「スワローズ」の愛称が復活しました。
【初優勝と黄金時代(1978年~)】
1978年:広岡達朗監督の下、創立29年目にして初のセ・リーグ優勝と日本一を達成しました。
1990年:野村克也監督が就任。古田敦也捕手を中心とした「ID野球」でチームを改革し、黄金時代を築きました。
1992年から1997年までの10年間で、リーグ優勝4回、日本一3回を達成しました。
2001年:若松勉監督の下、日本一に輝きました。
2006年:「東京ヤクルトスワローズ」に球団名を変更しました。
■横浜DeNAベイスターズ
横浜DeNAベイスターズは、1950年に「大洋ホエールズ」として創設されて以来、親会社や本拠地を変えながら歴史を歩んできた球団です。
【創設期と初の日本一(1950年代~1960年代)】
1950年:山口県下関市を本拠地とする「大洋ホエールズ」として球団が発足。
1953年:松竹ロビンスと合併し「大洋松竹ロビンス」となる。
1955年:「大洋ホエールズ」に名称を戻し、本拠地を川崎球場に移転。
1960年:三原脩監督のもと、球団創設11年目にして初のセ・リーグ優勝と日本一を達成しました。当時、"超二流"と称された選手たちが結束し、"三原マジック"と呼ばれる采配で快進撃を見せました。
【暗黒時代と横浜への移転(1970年代~1990年代)】
1960年の日本一以降、長らく低迷期が続きました。
1978年:横浜スタジアムの完成とともに、本拠地を横浜市に移転。「横浜大洋ホエールズ」となりました。
1993年:「横浜ベイスターズ」に球団名を変更。ユニフォームも一新し、チームカラーが青と白を基調としたものになりました。
38年ぶりの日本一「マシンガン打線」(1998年)
1998年:権藤博監督の下、プロ野球記録となる30勝を挙げた佐々木主浩投手、石井琢朗選手、鈴木尚典選手、駒田徳広選手、ローズ選手、波留敏夫選手らによる強力打線「マシンガン打線」が火を噴き、38年ぶり2度目のセ・リーグ優勝と日本一を達成しました。この優勝は、横浜の街全体を熱狂させました。
【再びの低迷期と球団改革(2000年代~2010年代)】
1998年の優勝後、主力選手の退団などが相次ぎ、再び低迷期に入りました。
2011年:IT企業のディー・エヌ・エー(DeNA)が親会社となり、「横浜DeNAベイスターズ」として新たなスタートを切りました。